高校野球あれこれ 第207号
東洋大姫路の名将・岡田監督は現役時代、センバツ史に残る
「雨中の名勝負」に出て、珍しい体験をしていた!
センバツに3年ぶりの出場が決まった東洋大姫路(兵庫)は、近畿大会で優勝し、神宮大会でも優勝した横浜(神奈川)と互角の延長戦を演じるなど、本大会でも西日本を代表する優勝候補だ。岡田龍生監督(タイトル写真中央=63)は、履正社(大阪)の監督として6年前の夏の甲子園で全国制覇を達成した名将で、3年前から母校を率いている。タイトル写真のように勝利の校歌を口ずさむなど、母校への愛情は深い。それもそのはず、現役時代には主将も務め、同校のセンバツ最高成績である4強入りを果たしているのだ。
雨中の名勝負がセンバツ史を彩る
その4強入りを決めた試合で、岡田監督は珍しい体験をした。センバツに雨はつきものである。現在は「継続試合」が導入され、途中で続行不可能となっても、日を改めて続きが行われるようになった。これは実にすばらしいことである。しかしつい最近までは、雨の中で「強行」されることも珍しくなく、「雨中の名勝負」がセンバツ史を彩ったこともあった。数ある雨中戦でも、最高の名勝負とされるのが、東洋大姫路と池田(徳島)が激突したセンバツの準々決勝。その年の夏には、箕島(和歌山)と星稜(石川)の高校野球史上最高の名勝負とされる延長18回の死闘もあった。昭和54(1979)年は、春夏とも史上に残るすごい試合があったのだ。まずは岡田監督の中学時代から振り返ってみよう。
中学時代はバレーボールで活躍
昭和52(1977)年、東洋大姫路に入学した岡田監督だが、意外なことに大阪市立菅南中(現天満中)時代はバレーボールをしていた。高校でも続けようと当時、全国屈指の強豪で、五輪選手や男女の代表監督を輩出している大商大付(現大商大高)に進むつもりだったが、高校進学を境に、人生が大きく変わることになる。東洋大姫路の梅谷馨監督(当時=故人)の社会人野球時代のチームメイトと、岡田監督の親戚が知り合いだったことから進学を勧められ、「本格的には小学校時代以来」(岡田監督)という野球の道に。「どんな学校かとか、情報も全然なくて、もうむちゃくちゃ厳しかった」。
1年夏の全国優勝再現を夢見てセンバツで奮闘
岡田監督が1年生の夏に、東洋大姫路は全国制覇を果たし、姫路駅から姫路城までの大通りで「優勝パレード」があった。10万を超える市民が集まったと言われている。その熱気を肌で感じた岡田監督は、パレードの再現を夢見て、来る日も来る日も、厳しい練習に耐えることになる。「なんでこんなとこに来たんやろう」と思うような、理不尽なことも毎日のようにあった。それでも主将として臨んだ2年生の秋の近畿大会で好成績を収め、翌年のセンバツに出場した。岡田監督はこの大会、1番三塁手で全試合にスタメン出場。初戦で修徳(東京)に6-1で快勝すると、岡崎郁(元巨人)のいた大分商にも12-6と打ち勝って、準々決勝進出。池田と第4試合で当たることになった。
「今日の試合は中止にできない」と通達
この日は天気予報が悪く、午後からは雨予想で、おまけに第3試合の浪商(現大体大浪商=大阪)と川之江(愛媛)の試合が延長13回までもつれ、3時間22分の死闘となった。この試合の途中から雨が降り出し、通路で待っていた両校には運営委員から直々に、「今日の試合はどんなことがあっても中止にできない」との通達があった。中止となれば、翌日に1試合だけ残すことになり、日程が延びる。ちなみにこの大会では、すでに2日の順延があった。当時としては当然の措置で、試合開始=成立させる、ことを意味する。「甲子園でナイターができる」と、喜んでいた岡田監督を試合の中盤、アクシデントが襲った。
審判から泥だらけのグラウンドに「寝ころびなさい」
この試合の主将は両校とも岡田姓で、池田の主将も、のちに監督として母校を甲子園へ導いた岡田康志さん。「120%バントやろう、という場面でむちゃくちゃ前で守ったんです。そしたら岡田がバスターして、打球がヒザの下に当たった」。すでにグラウンドは雨でぬかるんでいたが、勢いよく跳ねた打球は三塁ベンチ前まで転がっていった。「しばらく感覚がなくて、四つん這いになっていたら審判の人が来て『寝ころびなさい』と。『えーっ、こんなとこで』と思いましたが、しゃあないので寝ころびました(笑)」。どろどろのまま担架に乗せられて退場する際、通路の階段の前で降ろしてもらうと、いけそうな感じだったという。それでもすでに交代が告げられていたので、仕方なく引き上げ、念のために病院へ行ったが軽傷で、試合終盤はベンチに戻っていた。
6点差を追う池田が9回に猛攻
試合は岡田監督不在の間に、東洋大姫路が大差をつけた。そのままの楽勝だったらここまで語り継がれることはないのだが、6点差を追う池田が9回に猛反撃。筆者はこの日、家族で外食に行く予定だったが、あまりの熱戦に結末を見届けないわけにはいかなかったと記憶している。というのも、池田の攻撃があまりに凄まじかったからである。田んぼのようなグラウンドで、打球がしぶきを上げて止まる。走者がスライディングすると、止まらず泥んこになる。それでも池田の連打は止まない。まさにその後の「やまびこ打線」を想起させるような攻撃だった。
岡田監督は大会で2回も試合を止めた!
試合は池田の猛追を辛くも振り切った東洋大姫路が、8-7で勝った。翌日の浪商との準決勝で、岡田監督はスタメン復帰したが、牛島和彦投手(元横浜監督)に抑えられて、決勝進出はならなかった。「『甲子園で担架に乗れるやつもあんまりおらんぞ』と冷やかされた」と懐かしそうに当時を振り返った岡田監督。「僕はね、あの大会で2回も試合を止めてるんです。(1回戦の)修徳の試合で指を踏まれて」とも。確かに2回も試合を中断させた球児も珍しいだろう。それだけ必死で戦っていた証拠で、これは教え子たちにも見習ってほしい。
「優勝を意識して」と後輩たちに語りかける
母校・東洋大姫路の監督となって3年目で、早くも初の甲子園。学校として夏の優勝はあるが、センバツでは岡田監督の現役時代も含め、4強(3度)が最高成績だ。また岡田監督個人としても、前任の履正社で夏の優勝はあるが、春は2度の準優勝と、センバツでは優勝に縁がない。
「履正社の時には言ったことがないが、選手たちには『優勝を意識して練習に取り組もう』と言っている」と、これまでとは違ったスタンスで、センバツ前を過ごしている。1月24日の出場決定の際も、抱負を問われると「優勝を狙う」ときっぱり。以前は常に控えめだった岡田監督にしては、きわめて珍しい。それだけ手ごたえもあるのだろう。現役時代の悔しかった思いを後輩たちに託し、「TOYO」のユニフォームで初めて指揮を執る岡田監督にとって、この春はどんな甲子園になるのだろう。もう楽しみしかない。
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「雨中の名勝負」に出て、珍しい体験をしていた!
センバツに3年ぶりの出場が決まった東洋大姫路(兵庫)は、近畿大会で優勝し、神宮大会でも優勝した横浜(神奈川)と互角の延長戦を演じるなど、本大会でも西日本を代表する優勝候補だ。岡田龍生監督(タイトル写真中央=63)は、履正社(大阪)の監督として6年前の夏の甲子園で全国制覇を達成した名将で、3年前から母校を率いている。タイトル写真のように勝利の校歌を口ずさむなど、母校への愛情は深い。それもそのはず、現役時代には主将も務め、同校のセンバツ最高成績である4強入りを果たしているのだ。
雨中の名勝負がセンバツ史を彩る
その4強入りを決めた試合で、岡田監督は珍しい体験をした。センバツに雨はつきものである。現在は「継続試合」が導入され、途中で続行不可能となっても、日を改めて続きが行われるようになった。これは実にすばらしいことである。しかしつい最近までは、雨の中で「強行」されることも珍しくなく、「雨中の名勝負」がセンバツ史を彩ったこともあった。数ある雨中戦でも、最高の名勝負とされるのが、東洋大姫路と池田(徳島)が激突したセンバツの準々決勝。その年の夏には、箕島(和歌山)と星稜(石川)の高校野球史上最高の名勝負とされる延長18回の死闘もあった。昭和54(1979)年は、春夏とも史上に残るすごい試合があったのだ。まずは岡田監督の中学時代から振り返ってみよう。
中学時代はバレーボールで活躍
昭和52(1977)年、東洋大姫路に入学した岡田監督だが、意外なことに大阪市立菅南中(現天満中)時代はバレーボールをしていた。高校でも続けようと当時、全国屈指の強豪で、五輪選手や男女の代表監督を輩出している大商大付(現大商大高)に進むつもりだったが、高校進学を境に、人生が大きく変わることになる。東洋大姫路の梅谷馨監督(当時=故人)の社会人野球時代のチームメイトと、岡田監督の親戚が知り合いだったことから進学を勧められ、「本格的には小学校時代以来」(岡田監督)という野球の道に。「どんな学校かとか、情報も全然なくて、もうむちゃくちゃ厳しかった」。
1年夏の全国優勝再現を夢見てセンバツで奮闘
岡田監督が1年生の夏に、東洋大姫路は全国制覇を果たし、姫路駅から姫路城までの大通りで「優勝パレード」があった。10万を超える市民が集まったと言われている。その熱気を肌で感じた岡田監督は、パレードの再現を夢見て、来る日も来る日も、厳しい練習に耐えることになる。「なんでこんなとこに来たんやろう」と思うような、理不尽なことも毎日のようにあった。それでも主将として臨んだ2年生の秋の近畿大会で好成績を収め、翌年のセンバツに出場した。岡田監督はこの大会、1番三塁手で全試合にスタメン出場。初戦で修徳(東京)に6-1で快勝すると、岡崎郁(元巨人)のいた大分商にも12-6と打ち勝って、準々決勝進出。池田と第4試合で当たることになった。
「今日の試合は中止にできない」と通達
この日は天気予報が悪く、午後からは雨予想で、おまけに第3試合の浪商(現大体大浪商=大阪)と川之江(愛媛)の試合が延長13回までもつれ、3時間22分の死闘となった。この試合の途中から雨が降り出し、通路で待っていた両校には運営委員から直々に、「今日の試合はどんなことがあっても中止にできない」との通達があった。中止となれば、翌日に1試合だけ残すことになり、日程が延びる。ちなみにこの大会では、すでに2日の順延があった。当時としては当然の措置で、試合開始=成立させる、ことを意味する。「甲子園でナイターができる」と、喜んでいた岡田監督を試合の中盤、アクシデントが襲った。
審判から泥だらけのグラウンドに「寝ころびなさい」
この試合の主将は両校とも岡田姓で、池田の主将も、のちに監督として母校を甲子園へ導いた岡田康志さん。「120%バントやろう、という場面でむちゃくちゃ前で守ったんです。そしたら岡田がバスターして、打球がヒザの下に当たった」。すでにグラウンドは雨でぬかるんでいたが、勢いよく跳ねた打球は三塁ベンチ前まで転がっていった。「しばらく感覚がなくて、四つん這いになっていたら審判の人が来て『寝ころびなさい』と。『えーっ、こんなとこで』と思いましたが、しゃあないので寝ころびました(笑)」。どろどろのまま担架に乗せられて退場する際、通路の階段の前で降ろしてもらうと、いけそうな感じだったという。それでもすでに交代が告げられていたので、仕方なく引き上げ、念のために病院へ行ったが軽傷で、試合終盤はベンチに戻っていた。
6点差を追う池田が9回に猛攻
試合は岡田監督不在の間に、東洋大姫路が大差をつけた。そのままの楽勝だったらここまで語り継がれることはないのだが、6点差を追う池田が9回に猛反撃。筆者はこの日、家族で外食に行く予定だったが、あまりの熱戦に結末を見届けないわけにはいかなかったと記憶している。というのも、池田の攻撃があまりに凄まじかったからである。田んぼのようなグラウンドで、打球がしぶきを上げて止まる。走者がスライディングすると、止まらず泥んこになる。それでも池田の連打は止まない。まさにその後の「やまびこ打線」を想起させるような攻撃だった。
岡田監督は大会で2回も試合を止めた!
試合は池田の猛追を辛くも振り切った東洋大姫路が、8-7で勝った。翌日の浪商との準決勝で、岡田監督はスタメン復帰したが、牛島和彦投手(元横浜監督)に抑えられて、決勝進出はならなかった。「『甲子園で担架に乗れるやつもあんまりおらんぞ』と冷やかされた」と懐かしそうに当時を振り返った岡田監督。「僕はね、あの大会で2回も試合を止めてるんです。(1回戦の)修徳の試合で指を踏まれて」とも。確かに2回も試合を中断させた球児も珍しいだろう。それだけ必死で戦っていた証拠で、これは教え子たちにも見習ってほしい。
「優勝を意識して」と後輩たちに語りかける
母校・東洋大姫路の監督となって3年目で、早くも初の甲子園。学校として夏の優勝はあるが、センバツでは岡田監督の現役時代も含め、4強(3度)が最高成績だ。また岡田監督個人としても、前任の履正社で夏の優勝はあるが、春は2度の準優勝と、センバツでは優勝に縁がない。
「履正社の時には言ったことがないが、選手たちには『優勝を意識して練習に取り組もう』と言っている」と、これまでとは違ったスタンスで、センバツ前を過ごしている。1月24日の出場決定の際も、抱負を問われると「優勝を狙う」ときっぱり。以前は常に控えめだった岡田監督にしては、きわめて珍しい。それだけ手ごたえもあるのだろう。現役時代の悔しかった思いを後輩たちに託し、「TOYO」のユニフォームで初めて指揮を執る岡田監督にとって、この春はどんな甲子園になるのだろう。もう楽しみしかない。
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