高校野球あれこれ 第178号
高校野球で「ジャイキリ」続出…なぜ今年は“おらが町のチーム”が勝てる? 石橋、大社、掛川西…「選手はほとんど地元出身」公立校が大健闘のワケ
歓喜に揺れる紫色のスタンドをめがけ、校歌を歌いあげた選手たちが勢いよく駆け出す。
32年ぶりの夏。島根の大社は初戦で優勝候補の報徳学園を倒す金星を挙げると、2回戦では長崎の創成館を撃破。実に107年ぶりとなる夏の甲子園2勝を挙げたのである。
「32年ぶりと言っても、私としては初出場のつもりで戦わせていただいてますんで」
そう謙虚に振舞う監督の石飛文太が、表情を引き締めてこの2勝を噛みしめる。
「島根県の指導者の方からたくさん連絡をいただきまして、こう言われるんです。『島根でもできるってところを見せてくれ』と。うちが『できる』ということを試合で見せることで、島根県の小中学生が『島根の高校で野球をやりたい』と思ってほしいんです」
石飛が紡ぐ想い――その伏線は3年前から敷かれていた。
地元・出雲市出身の選手が中心となる大社
地元の出雲市出身であるセカンドの高橋翔和とライトの蒼空の双子の兄弟は、21年夏に島根大会で決勝まで勝ち進んだ大社の戦いぶりを目の当たりにし、「かっこいい」と憧れた。そして、ふたりが在学していた湖陵中のチームメートでもあった岸恒介らとともに「自分らの代で甲子園に行こう」と、同校への進学を決意したのだという。
出雲で育った少年たちが、大社に集結する。
レフトの下条心之介とセンターの藤原佑のように、小学校時代から知る選手たちが声を掛け合う。そこには当時から地元では有名で、のちに絶対エースとなる馬庭優太もいた。
自身も中学時代には県内の高校から多くの誘いがあったなか、大社で野球をすることを決めた藤原は力強く言った。
「部員のなかには県外から来ている選手もいるんですけど、チームとして『地元から甲子園に行く』という意識が強くて。自分も出雲の力を見せたいなと思っています」
大社は甲子園で力を見せた。
夏の前から取り組んできた、近い距離から進塁打やタイムリーヒットを打つ練習に力を入れることで打線に繋がりが生まれ、32年ぶりに帰還した聖地では“大物食い”という、強烈なインパクトを放っている。それも、少年時代から知る者たちの結束も大きいのだと、選手たちは口を揃えている。
今年の夏は、大社のように決して目立たずとも地道に育まれてきた伝統が日の目を見るチームが顕著である。
26年ぶりに夏の甲子園に帰ってきた静岡の掛川西もそうだ。前回出場の1998年にキャプテンとして出場した監督の大石卓哉もまた、中学時代に16年ぶりの出場となった93年夏の光景が強烈だったのだと回想する。
「甲子園で実際に試合を見たときに『こういう場所があるんだ』と感動して、迷いなくこの高校に入りました」
「地域の声援がすごい」静岡・掛川西も初戦突破
大石が抱いた憧憬は、今も継承されている。自宅のある浜松市から電車で1時間かけて通学するレフトの杉山侑生は、掛川工出身ながら掛川西野球部に憧れていた父・宜之の想いを胸に、一般入試で同校に入学した。
杉山が父から聞かされたのは、「とにかく地元の応援がすごい」ことだった。伊東市から掛川西にやってきたライトの田中朔太郎も、入学した理由のひとつにそこを挙げる。
「野球だけではなく『地域の応援がすごい』と聞いていたことも入学するきっかけになりました。実際に入ると、普段から地域の方に声をかけていただいたり、後援会にご支援していただいたり。すごく力になります」
地域に感謝する田中は、野球にも掛川西の伝統を感じている。
「俺たちは静岡の代表だから」
掛川市をはじめ県内の選手が中心となって構成されるチームは、常にそう発している。この誇りを貫くために、監督の大石が選手たちに口酸っぱく説くのがこれだ。
「うまい選手ではなく、強い選手になれ」
野球に置き換えて言えば、それは「当たり前のプレーを当たり前にやる」ことである。アウトになる確率が高いゴロであっても全力で一塁ベースを駆け抜ける。守備でも内・外野ともにカバーリングを怠らない。この「凡事徹底」が甲子園の大きな礎となった。
26年ぶりの掛川西のアルプススタンドは、鮮やかな青で染まっていた。
自らも憧れた景色の後押しもあって、チームは初戦の日本航空戦で、夏は60年ぶりの勝利を手にした。「ベスト8」という目標を掲げていただけに、大石は「もっと勝って、次のステージに進みたかった」と悔しさをにじませつつも、監督として伝統校を率いて甲子園に出られたことに声を詰まらせる。
「監督としても甲子園に出られたことで、『やればできるんだ』という姿を見せることができ、胸がいっぱいです。多くの人たちに支えられ、応援され、いい仲間と出会い……本当に素晴らしいことだと思います」
夏の甲子園に初出場の石橋を率いる福田博之は、掛川西の大応援に「すごかった」と圧倒されていたという。そこで、「うちはどうなんだろう?」と少しだけ不安がよぎったと漏らすが、杞憂に終わった。
学校創立100周年の節目の年に野球部の新たな歴史を切り開いた石橋のアルプススタンドは、オレンジで埋め尽くされていた。その数、およそ3000人。聖和学園との初戦を勝利に導いた福田は、「大変な勇気と力をいただきました。本当に力になりましたね」と、大応援団に頭を下げていた。
県内屈指の進学校として知られる石橋も、野球部の伝統を甲子園へと繋げたチームだ。
20年秋に関東大会に出場したことで、「文武両道が可能になる」と期待を抱いた入江祥太ら現在の選手たちが入学し、23年のセンバツ、そしてこの夏の甲子園へと結実させた。福田がしみじみと語る。
「中学生が『あの学校に行きたいな』と思ってくれる風土を、先輩たちが作ってくれたのが大きいと思っています」
大社、掛川西、石橋。地元出身者が大半を占める公立校の躍進がクローズアップされるが、「地元の力」は私立も同じだ。
新潟産大附、小松大谷も…地元選手中心のチームが躍進
初出場ながら初戦で甲子園優勝経験のある花咲徳栄を撃破した新潟産大附は、「柏崎から甲子園に行こう」を合言葉に地元の選手を中心にチームを鍛え上げ、実績を作った。
明豊、大阪桐蔭と次々と強豪をなぎ倒して台風の目となっている小松大谷も、レギュラーメンバー全員が県内の中学出身である。監督の西野貴裕は、チームの結束力のひとつとしてこのことを挙げているくらいだ。
「小学校から一緒にやっている子ばかりなんで、顔見知りが多いんです。だから足並みを揃えられるんじゃないでしょうか」
古き良き高校野球の美徳。18年夏の金足農に誰もが釘付けとなったように、今でも心の奥底では「おらが町のチーム」を求めている。
だからこそ、この夏も彼らの野球に興奮し、大応援に胸が躍るのである。
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歓喜に揺れる紫色のスタンドをめがけ、校歌を歌いあげた選手たちが勢いよく駆け出す。
32年ぶりの夏。島根の大社は初戦で優勝候補の報徳学園を倒す金星を挙げると、2回戦では長崎の創成館を撃破。実に107年ぶりとなる夏の甲子園2勝を挙げたのである。
「32年ぶりと言っても、私としては初出場のつもりで戦わせていただいてますんで」
そう謙虚に振舞う監督の石飛文太が、表情を引き締めてこの2勝を噛みしめる。
「島根県の指導者の方からたくさん連絡をいただきまして、こう言われるんです。『島根でもできるってところを見せてくれ』と。うちが『できる』ということを試合で見せることで、島根県の小中学生が『島根の高校で野球をやりたい』と思ってほしいんです」
石飛が紡ぐ想い――その伏線は3年前から敷かれていた。
地元・出雲市出身の選手が中心となる大社
地元の出雲市出身であるセカンドの高橋翔和とライトの蒼空の双子の兄弟は、21年夏に島根大会で決勝まで勝ち進んだ大社の戦いぶりを目の当たりにし、「かっこいい」と憧れた。そして、ふたりが在学していた湖陵中のチームメートでもあった岸恒介らとともに「自分らの代で甲子園に行こう」と、同校への進学を決意したのだという。
出雲で育った少年たちが、大社に集結する。
レフトの下条心之介とセンターの藤原佑のように、小学校時代から知る選手たちが声を掛け合う。そこには当時から地元では有名で、のちに絶対エースとなる馬庭優太もいた。
自身も中学時代には県内の高校から多くの誘いがあったなか、大社で野球をすることを決めた藤原は力強く言った。
「部員のなかには県外から来ている選手もいるんですけど、チームとして『地元から甲子園に行く』という意識が強くて。自分も出雲の力を見せたいなと思っています」
大社は甲子園で力を見せた。
夏の前から取り組んできた、近い距離から進塁打やタイムリーヒットを打つ練習に力を入れることで打線に繋がりが生まれ、32年ぶりに帰還した聖地では“大物食い”という、強烈なインパクトを放っている。それも、少年時代から知る者たちの結束も大きいのだと、選手たちは口を揃えている。
今年の夏は、大社のように決して目立たずとも地道に育まれてきた伝統が日の目を見るチームが顕著である。
26年ぶりに夏の甲子園に帰ってきた静岡の掛川西もそうだ。前回出場の1998年にキャプテンとして出場した監督の大石卓哉もまた、中学時代に16年ぶりの出場となった93年夏の光景が強烈だったのだと回想する。
「甲子園で実際に試合を見たときに『こういう場所があるんだ』と感動して、迷いなくこの高校に入りました」
「地域の声援がすごい」静岡・掛川西も初戦突破
大石が抱いた憧憬は、今も継承されている。自宅のある浜松市から電車で1時間かけて通学するレフトの杉山侑生は、掛川工出身ながら掛川西野球部に憧れていた父・宜之の想いを胸に、一般入試で同校に入学した。
杉山が父から聞かされたのは、「とにかく地元の応援がすごい」ことだった。伊東市から掛川西にやってきたライトの田中朔太郎も、入学した理由のひとつにそこを挙げる。
「野球だけではなく『地域の応援がすごい』と聞いていたことも入学するきっかけになりました。実際に入ると、普段から地域の方に声をかけていただいたり、後援会にご支援していただいたり。すごく力になります」
地域に感謝する田中は、野球にも掛川西の伝統を感じている。
「俺たちは静岡の代表だから」
掛川市をはじめ県内の選手が中心となって構成されるチームは、常にそう発している。この誇りを貫くために、監督の大石が選手たちに口酸っぱく説くのがこれだ。
「うまい選手ではなく、強い選手になれ」
野球に置き換えて言えば、それは「当たり前のプレーを当たり前にやる」ことである。アウトになる確率が高いゴロであっても全力で一塁ベースを駆け抜ける。守備でも内・外野ともにカバーリングを怠らない。この「凡事徹底」が甲子園の大きな礎となった。
26年ぶりの掛川西のアルプススタンドは、鮮やかな青で染まっていた。
自らも憧れた景色の後押しもあって、チームは初戦の日本航空戦で、夏は60年ぶりの勝利を手にした。「ベスト8」という目標を掲げていただけに、大石は「もっと勝って、次のステージに進みたかった」と悔しさをにじませつつも、監督として伝統校を率いて甲子園に出られたことに声を詰まらせる。
「監督としても甲子園に出られたことで、『やればできるんだ』という姿を見せることができ、胸がいっぱいです。多くの人たちに支えられ、応援され、いい仲間と出会い……本当に素晴らしいことだと思います」
夏の甲子園に初出場の石橋を率いる福田博之は、掛川西の大応援に「すごかった」と圧倒されていたという。そこで、「うちはどうなんだろう?」と少しだけ不安がよぎったと漏らすが、杞憂に終わった。
学校創立100周年の節目の年に野球部の新たな歴史を切り開いた石橋のアルプススタンドは、オレンジで埋め尽くされていた。その数、およそ3000人。聖和学園との初戦を勝利に導いた福田は、「大変な勇気と力をいただきました。本当に力になりましたね」と、大応援団に頭を下げていた。
県内屈指の進学校として知られる石橋も、野球部の伝統を甲子園へと繋げたチームだ。
20年秋に関東大会に出場したことで、「文武両道が可能になる」と期待を抱いた入江祥太ら現在の選手たちが入学し、23年のセンバツ、そしてこの夏の甲子園へと結実させた。福田がしみじみと語る。
「中学生が『あの学校に行きたいな』と思ってくれる風土を、先輩たちが作ってくれたのが大きいと思っています」
大社、掛川西、石橋。地元出身者が大半を占める公立校の躍進がクローズアップされるが、「地元の力」は私立も同じだ。
新潟産大附、小松大谷も…地元選手中心のチームが躍進
初出場ながら初戦で甲子園優勝経験のある花咲徳栄を撃破した新潟産大附は、「柏崎から甲子園に行こう」を合言葉に地元の選手を中心にチームを鍛え上げ、実績を作った。
明豊、大阪桐蔭と次々と強豪をなぎ倒して台風の目となっている小松大谷も、レギュラーメンバー全員が県内の中学出身である。監督の西野貴裕は、チームの結束力のひとつとしてこのことを挙げているくらいだ。
「小学校から一緒にやっている子ばかりなんで、顔見知りが多いんです。だから足並みを揃えられるんじゃないでしょうか」
古き良き高校野球の美徳。18年夏の金足農に誰もが釘付けとなったように、今でも心の奥底では「おらが町のチーム」を求めている。
だからこそ、この夏も彼らの野球に興奮し、大応援に胸が躍るのである。
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高校野球と人権 - 中村 計, 松坂 典洋
池田高校野球部: 高校野球名門校シリ-ズ/栄光の軌跡 (B・B MOOK 945 高校野球名門校シリーズ 2)
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