高校野球あれこれ 第100号
【センバツ2023】「甲子園で勝てなくなった。なぜ…」歴史的センバツV・山梨学院の吉田監督はいかに“再起”したか? 試合後に語った「優勝で帳消し」の真意
青い空と白い雲。
かの名物アナウンサー、植草貞夫の名調子のような景色が広がる甲子園球場で、スカイブルーが欣喜雀躍(きんきじゃくやく)のごとく飛び跳ねる。 4月1日。青のアクセントカラーが鮮やかなユニフォームをまとう山梨学院が、センバツで山梨県勢初となる全国制覇を成し遂げた。
2009年に長崎県勢で初の日本一をもたらした清峰に続き、山梨県でも新たな扉を開いた監督の吉田洸二は優勝監督インタビューで、やや恐縮したような表情で言った。
「毎年のように期待を裏切り続けてきたので、この優勝で少しは帳消しにしてもらえれば」
帳消しのはじまり。それは、2年前の21年にあるのかもしれない。
2年前の「後悔」…痛感した未熟さ
この年の夏。山梨学院は山梨大会準決勝で富士学苑に敗れた。長打が出れば逆転サヨナラの9回1アウト満塁の場面を作りながら、1年生のサードランナーが牽制球で刺されチャンスを潰すなど、らしくないプレーも目立っての敗戦だった。
それまで4大会続いていた夏の甲子園出場記録が途絶えて間もない頃。吉田は穏やかだった。グラウンドで怪我をして動けなくなっていた“雀”を「生徒と同じくらい気になってしょうがないんです」と優しく介抱しながら、自分の未熟さを訥々と紡いでいた。
「下級生が試合に出るということは、それだけ能力が高い反面、悪く言えば、中学から活躍しているので野球を甘く見ているところがあるんです。それをわかっていながら公式戦の怖さとか野球の厳しさを教え切れなかったことも含めて、私が『油断』という言葉を使うことが軽いほど、勝負師として成長がまだまだ足りないんだなって思わされました」
言葉が訴えるように猛省はしていた。ただ同時に、吉田はこうも感じたという。
「これは野球の神様からのメッセージなのかなって、私は思っているんです」
甲子園で勝てない…「心が重くなっていた」
教員との二足の草鞋だった清峰時代と違い、「職業監督」として着任した山梨学院で吉田に求められるのは結果である。
13年に同校の監督となり、16年からは山梨では夏4連覇と強さを堅持しながら、昨年まで8度の甲子園でわずか2勝。初戦突破が最高成績だった。全国の舞台に立つことではなく、そこで勝つことが評価の対象として臨んでいる吉田にとって、その成績は受け入れがたい結果でもあったのである。
とりわけダメージが大きかったのが昨年だ。山梨での連覇が止まった21年から主力を担う選手が多く、吉田が「頂点を狙える力がある」と手応えを抱いていたチームはしかし、春夏ともに甲子園で初戦敗退だった。
「なんで、目指してるのかな?」
昨夏の甲子園が終わってしばらくしてからのことだ。所用で甲子園球場の前を通った際に、暗い霧が吉田を包んだという。
「学校だったり、いろんな方にバックアップしていただいているのに甲子園で勝てない。心が重くなっていましたね」
監督の沈痛。機微を敏感に感じ取っていたのが、息子であり部長でもある健人である。
息子(部長)が見た吉田監督
現役では清峰、指導者としては山梨学院で背中を追う26歳の若きブレーンは、父であり監督でもある吉田の苦悩をこのように明かす。
「清峰では選手と一緒に戦って、勢いで勝てた部分はあったと思うんです。山梨学院では狙って勝っていかなければいけない責任のなか、自力でチームを作ってきても去年のように勝てなかったり。辛かったと思います」
吉田が言った、指導者としての「油断」を健人も二人三脚で埋めていった。
主将は“2年前の牽制で刺された1年生”
監督から「練習メニューを含め、現場のことは基本的に部長に任せている」と全幅の信頼を寄せられる健人は、野球の隙を埋める作業に力を注いでいるという。
なかでもテコ入れしたのが走塁だった。シートノックから走者を置くなど、より実戦的な練習で技術を磨くのはもちろん、動きが緩慢だったり、少しでも集中力に欠けていると思えばくどいほど指導してきた。
「俺だけが言うんじゃなくて、自分たちでも気づいたら指摘し合ったほうがいいぞ」
そうやって日々刺激されてきたことが大きかったと話すのは、キャプテンの進藤天だ。1年の夏、富士学苑との試合で牽制死したサードランナーが彼だった。
「あの時の悔しさというのは忘れられなくて。下級生から試合に出させてもらっているので『自分が引っ張っていかないといけない』と思っていても、チームの力になれずに迷惑ばかりかけていました。最初は自分もそうですし、選手同士でなかなか言えなかったんですけど、部長さんがずっとそうやって言ってくださったこともあって、だんだんミスとかも指摘し合えるようになってきました」
進藤の盗塁が口火となり勝ち越した2回戦の氷見戦など、今年のセンバツで山梨学院の走塁は大きな武器となった。
キャプテンは試合ごとに「今日はスタートの一歩目が遅かった」と走塁に言及するのと同じくらい、バッティングでも「打ってはいけないボールに手を出していた」と、課題を挙げながら幅広く振り返ることが多かった。つまり、部長の健人から指摘されてきた隙を選手たちが率先して埋めているのである。
試合での勝利は、その体現でもあった。
克己した選手に触れた監督はやがて、自分の心の隙間も埋まっていく様を実感する。
甲子園中に「心情」が変わった
不思議な感覚だった。
あれは3回戦の光戦だ。5回が終了し、グラウンド整備している最中に甲子園球場を見渡す。スカイブルーが映えるアルプススタンドを眺めると、山梨学院の監督になってから初めての感情が降りてきた。
「選手たちには楽しくプレーしてほしい」
吉田がこの時の心情をつまびらかにする。
「4回までは『なんであんな球に手を出すんだ! 』とか思った時はね、選手にばれないように表情を作ったりしていましたけど、そういう私の硬さが選手たちを殺していたんでしょうね。グラウンド整備でそう感じてからは、『敗けても夏に頑張ろう』って純粋に思えて。あんなことは初めてでした」
まるで憑き物が取り除かれたように、吉田の表情は明るくなった。
キャプテンの進藤が「試合の度に温かい声をかけてくださるようになって、選手たちもやりやすい」と言えば、下級生から試合に出る星野泰輝の言葉も核心を突いていた。
「負けられない試合が続くなかで、自分たちがミスとかすると監督さんの表情を硬くしてしまうじゃないですか。でも、この甲子園ではそれがなくなって。ミスをしたとしても『チャレンジしていこう』と言ってくださるので、ベンチも『次、次! 』って前向きになれるというか。すごくありがたいです」
これこそが、本来の吉田洸二なのだ――。
そう言わんばかりに健人が唸る。
「清峰の時がそうでしたから。監督の長所は選手を勇気づける、気持ちを乗せられるところなんです。だから僕も、吉田洸二という男についていけるんです」
報徳学園との決勝戦は、そんな山梨学院の道程が結実した一戦だった。
「答え合わせができた大会だった」
ハイライトは2点を追う5回だ。
9番バッターの伊藤光輝の同点打に、監督がベンチでおどけるように頭を抱える。その伊藤が二塁に進み、リード幅を変えながら相手バッテリーを揺さぶると、星野のレフト前で勝ち越しのホームを陥れた。さらに活気づいた打線はこの回、6本の長短打を浴びせて一挙7得点。主導権を握りながら7-3で勝利し、高校野球の頂点に到達した。
磨き上げた走塁。派手さはないが好球必打の繋がりある打線。ピッチャーもエースの林謙吾が6試合中4試合で完投と、マウンドを守り抜いた。生まれ変わった野球で、山梨学院は県勢の歴史を塗り替えたのである。
「私がずっと足を引っ張ってきましたから」
勝利者となった吉田は謙虚に言い、自らの道筋を噛みしめる。
「生徒のための甲子園なのに自分が勝ちたい思いでやって、生徒たちに重たい野球をやらせてしまっていたんだなって。その答え合わせができた大会だったような気がします。少しは山梨のみなさんに恩返しできたかな?」
悲願は果たされた。
日本一を実現させたのは、油断と向き合った監督の原点回帰とチームの隙のない野球。
そしてもうひとつ。
もし、小さな命の恩返しもあったのだと思うのなら、嘘のような現実の物語だったのかもしれない。
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青い空と白い雲。
かの名物アナウンサー、植草貞夫の名調子のような景色が広がる甲子園球場で、スカイブルーが欣喜雀躍(きんきじゃくやく)のごとく飛び跳ねる。 4月1日。青のアクセントカラーが鮮やかなユニフォームをまとう山梨学院が、センバツで山梨県勢初となる全国制覇を成し遂げた。
2009年に長崎県勢で初の日本一をもたらした清峰に続き、山梨県でも新たな扉を開いた監督の吉田洸二は優勝監督インタビューで、やや恐縮したような表情で言った。
「毎年のように期待を裏切り続けてきたので、この優勝で少しは帳消しにしてもらえれば」
帳消しのはじまり。それは、2年前の21年にあるのかもしれない。
2年前の「後悔」…痛感した未熟さ
この年の夏。山梨学院は山梨大会準決勝で富士学苑に敗れた。長打が出れば逆転サヨナラの9回1アウト満塁の場面を作りながら、1年生のサードランナーが牽制球で刺されチャンスを潰すなど、らしくないプレーも目立っての敗戦だった。
それまで4大会続いていた夏の甲子園出場記録が途絶えて間もない頃。吉田は穏やかだった。グラウンドで怪我をして動けなくなっていた“雀”を「生徒と同じくらい気になってしょうがないんです」と優しく介抱しながら、自分の未熟さを訥々と紡いでいた。
「下級生が試合に出るということは、それだけ能力が高い反面、悪く言えば、中学から活躍しているので野球を甘く見ているところがあるんです。それをわかっていながら公式戦の怖さとか野球の厳しさを教え切れなかったことも含めて、私が『油断』という言葉を使うことが軽いほど、勝負師として成長がまだまだ足りないんだなって思わされました」
言葉が訴えるように猛省はしていた。ただ同時に、吉田はこうも感じたという。
「これは野球の神様からのメッセージなのかなって、私は思っているんです」
甲子園で勝てない…「心が重くなっていた」
教員との二足の草鞋だった清峰時代と違い、「職業監督」として着任した山梨学院で吉田に求められるのは結果である。
13年に同校の監督となり、16年からは山梨では夏4連覇と強さを堅持しながら、昨年まで8度の甲子園でわずか2勝。初戦突破が最高成績だった。全国の舞台に立つことではなく、そこで勝つことが評価の対象として臨んでいる吉田にとって、その成績は受け入れがたい結果でもあったのである。
とりわけダメージが大きかったのが昨年だ。山梨での連覇が止まった21年から主力を担う選手が多く、吉田が「頂点を狙える力がある」と手応えを抱いていたチームはしかし、春夏ともに甲子園で初戦敗退だった。
「なんで、目指してるのかな?」
昨夏の甲子園が終わってしばらくしてからのことだ。所用で甲子園球場の前を通った際に、暗い霧が吉田を包んだという。
「学校だったり、いろんな方にバックアップしていただいているのに甲子園で勝てない。心が重くなっていましたね」
監督の沈痛。機微を敏感に感じ取っていたのが、息子であり部長でもある健人である。
息子(部長)が見た吉田監督
現役では清峰、指導者としては山梨学院で背中を追う26歳の若きブレーンは、父であり監督でもある吉田の苦悩をこのように明かす。
「清峰では選手と一緒に戦って、勢いで勝てた部分はあったと思うんです。山梨学院では狙って勝っていかなければいけない責任のなか、自力でチームを作ってきても去年のように勝てなかったり。辛かったと思います」
吉田が言った、指導者としての「油断」を健人も二人三脚で埋めていった。
主将は“2年前の牽制で刺された1年生”
監督から「練習メニューを含め、現場のことは基本的に部長に任せている」と全幅の信頼を寄せられる健人は、野球の隙を埋める作業に力を注いでいるという。
なかでもテコ入れしたのが走塁だった。シートノックから走者を置くなど、より実戦的な練習で技術を磨くのはもちろん、動きが緩慢だったり、少しでも集中力に欠けていると思えばくどいほど指導してきた。
「俺だけが言うんじゃなくて、自分たちでも気づいたら指摘し合ったほうがいいぞ」
そうやって日々刺激されてきたことが大きかったと話すのは、キャプテンの進藤天だ。1年の夏、富士学苑との試合で牽制死したサードランナーが彼だった。
「あの時の悔しさというのは忘れられなくて。下級生から試合に出させてもらっているので『自分が引っ張っていかないといけない』と思っていても、チームの力になれずに迷惑ばかりかけていました。最初は自分もそうですし、選手同士でなかなか言えなかったんですけど、部長さんがずっとそうやって言ってくださったこともあって、だんだんミスとかも指摘し合えるようになってきました」
進藤の盗塁が口火となり勝ち越した2回戦の氷見戦など、今年のセンバツで山梨学院の走塁は大きな武器となった。
キャプテンは試合ごとに「今日はスタートの一歩目が遅かった」と走塁に言及するのと同じくらい、バッティングでも「打ってはいけないボールに手を出していた」と、課題を挙げながら幅広く振り返ることが多かった。つまり、部長の健人から指摘されてきた隙を選手たちが率先して埋めているのである。
試合での勝利は、その体現でもあった。
克己した選手に触れた監督はやがて、自分の心の隙間も埋まっていく様を実感する。
甲子園中に「心情」が変わった
不思議な感覚だった。
あれは3回戦の光戦だ。5回が終了し、グラウンド整備している最中に甲子園球場を見渡す。スカイブルーが映えるアルプススタンドを眺めると、山梨学院の監督になってから初めての感情が降りてきた。
「選手たちには楽しくプレーしてほしい」
吉田がこの時の心情をつまびらかにする。
「4回までは『なんであんな球に手を出すんだ! 』とか思った時はね、選手にばれないように表情を作ったりしていましたけど、そういう私の硬さが選手たちを殺していたんでしょうね。グラウンド整備でそう感じてからは、『敗けても夏に頑張ろう』って純粋に思えて。あんなことは初めてでした」
まるで憑き物が取り除かれたように、吉田の表情は明るくなった。
キャプテンの進藤が「試合の度に温かい声をかけてくださるようになって、選手たちもやりやすい」と言えば、下級生から試合に出る星野泰輝の言葉も核心を突いていた。
「負けられない試合が続くなかで、自分たちがミスとかすると監督さんの表情を硬くしてしまうじゃないですか。でも、この甲子園ではそれがなくなって。ミスをしたとしても『チャレンジしていこう』と言ってくださるので、ベンチも『次、次! 』って前向きになれるというか。すごくありがたいです」
これこそが、本来の吉田洸二なのだ――。
そう言わんばかりに健人が唸る。
「清峰の時がそうでしたから。監督の長所は選手を勇気づける、気持ちを乗せられるところなんです。だから僕も、吉田洸二という男についていけるんです」
報徳学園との決勝戦は、そんな山梨学院の道程が結実した一戦だった。
「答え合わせができた大会だった」
ハイライトは2点を追う5回だ。
9番バッターの伊藤光輝の同点打に、監督がベンチでおどけるように頭を抱える。その伊藤が二塁に進み、リード幅を変えながら相手バッテリーを揺さぶると、星野のレフト前で勝ち越しのホームを陥れた。さらに活気づいた打線はこの回、6本の長短打を浴びせて一挙7得点。主導権を握りながら7-3で勝利し、高校野球の頂点に到達した。
磨き上げた走塁。派手さはないが好球必打の繋がりある打線。ピッチャーもエースの林謙吾が6試合中4試合で完投と、マウンドを守り抜いた。生まれ変わった野球で、山梨学院は県勢の歴史を塗り替えたのである。
「私がずっと足を引っ張ってきましたから」
勝利者となった吉田は謙虚に言い、自らの道筋を噛みしめる。
「生徒のための甲子園なのに自分が勝ちたい思いでやって、生徒たちに重たい野球をやらせてしまっていたんだなって。その答え合わせができた大会だったような気がします。少しは山梨のみなさんに恩返しできたかな?」
悲願は果たされた。
日本一を実現させたのは、油断と向き合った監督の原点回帰とチームの隙のない野球。
そしてもうひとつ。
もし、小さな命の恩返しもあったのだと思うのなら、嘘のような現実の物語だったのかもしれない。
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